« 2011年3月 | メイン | 2011年6月 »

2011年5月

2011年5月28日 (土)

【2011年全仏オープン】クエルテンの再来ベルッシが才能の片鱗を披露

 春のクレーコートシーズン、最もホットな選手がトマス・ベルッシ(ブラジル)だった。全仏前哨戦のマスターズ1000マドリードでは、3回戦で世界ランク4位のアンディ・マリー(英国)を、準々決勝で同7位のトマーシュ・ベルディハ(チェコ)を破り、準決勝のノバク・ジョコビッチ(セルビア)戦でも1セットを奪う健闘を見せた。
 第23シードで臨んだ全仏オープン。全仏でブラジル選手とあれば、どうしても「グーガ(グスタボ・クエルテン)の再来」という枕詞がつきまとう。ベルッシ自身は「彼はブラジルテニス界で最も重要なプレーヤーだ。精一杯やってみるけれど、彼に追いつくのは簡単ではない」と話しているが、母国のファンは当然、グーガの偉業の再現を期待しただろう。
 シードを守り3回戦に進出、地元フランスのリシャール・ガスケに惜しくも敗れたが、これはいい試合だった。左利きのシュアな攻撃は、ショットの宝箱を持つガスケでなければしのげなかっただろう。将来に期待を持たせる敗戦だった。ジョコビッチと同じ87年生まれ。夢の一つは、2016年に母国で開かれるリオデジャネイロ五輪に出ることだという。

2011年5月26日 (木)

【2011年全仏オープン】錦織は試合巧者のスタコフスキーに完敗

 頭脳派スタコフスキーに「自分のいいところを封じられた」と錦織圭。執拗なドロップショットと深いスライスに得意の連続攻撃を断ち切られ、最後まで主導権を握れなかった。ドロップショットが拾えそうで拾えない。ネット際まで追いかけて返球をミスする場面が多かった。サーブ&ボレーのスタコフスキーがベースラインでのプレーに徹したのも、大きな誤算だった。

 混乱、屈辱、悔い。錦織の心中には多くの感情が入り乱れただろう。そうやってフラストレーションを溜めながらの4セットは、苦行だったに違いない。ただ、その中でも自分のプレーを取り戻して第2セットを奪ったのは立派だった。

 「相手がうまいプレーをしてきた」と脱帽の錦織。スライスは低く滑り、錦織に高い打点からの強打を許さなかった。スライスとフラット系のストロークによる緩急は、錦織のリズムをかき乱した。こんな巧妙な相手と戦うのは初めての経験ではなかったか。経験値アップと思えば完敗の中にも光明を見つけることができる。師匠ブラッド・ギルバートの「醜く勝つ」を実践したのは、錦織ではなく相手のスタコフスキーだったのだから。

2011年5月23日 (月)

【2011年全仏オープン】錦織圭が盧彦勲に完勝、2回戦進出

 盧彦勲は日本人男子選手にとってよき目標であり、壁である。特に、年齢も近い添田豪にとってはもっとも身近なライバルだったのではないか。昨年のウィンブルドンではロディックを破り、ベスト8。カウンターパンチは鋭く堅実だ。その盧にストレート勝ち。錦織圭という選手のスケールの大きさを改めて印象づける完勝だった。

 盧は何度も首をかしげ、自分の陣営を振り返った。立ち上がりからカウンターの精度が低かった。早めに展開しようとするのだが、コースを変えようとしたボールがことごとくミスになる。錦織の重そうなトップスピンをうまく扱えていないからだ。

 逆に錦織はクレーコーターのようなプレーだった。深いボールにはベースラインの後方まで下がってふところを作り、相手のバランスが崩れたと見ればドロップショットで仕掛けた。回転量を増やして打つ、逃げのスピンも盧の攻撃をうまく封じた。

 ジュニア時代に錦織は「クレーコートがもっとも得意」と話していた。今も得意のサーフェスであることは間違いない。一方の盧は会見でクレーに苦手意識を持っていると明かした。ランキングではほぼ互角だが、クレーへの適性で、これだけの大差がつくのである。ただ、この結果はクレーとの相性だけでは片づけられないとも思う。

 前哨戦のローマでは腹痛のため1回戦を棄権。ただちに帰国し、医師の診察を受けた。全仏出場にゴーサインは出たものの、準備不足は明らかで、体力面での不安は間違いなくあった。その中での、この集中力、この動き。さすが錦織という言葉しか思いつかない。

秋山英宏
Akiyama Hidehiro

秋山英宏

1961年生まれ。大学卒業後、フリーランスライターとしてスポーツ、レジャー分野を中心に雑誌、新聞で執筆活動を行う。1987年からテニスの取材を開始し、グランドスラムをはじめ、国内外の主要トーナメントを取材。テニス専門誌に多くの観戦レポート、インタビュー記事などを執筆している。日本テニス協会広報委員会委員。