« 2011年1月 | メイン | 2011年5月 »

2011年3月

2011年3月17日 (木)

勝利の立役者となった伊藤竜馬【デビスカップ】

改めて思うのだが、今回のデ杯フィリピン戦における最大の殊勲者は伊藤竜馬だった。初日の第1試合で彼がもし負けていたら……。第2日のダブルスや第3日の添田豪の試合を見ながら、そして日本が3勝を挙げて日程終了となったのちも、幾度となく、この「もし」が頭に浮かんだ。

選手は、そのテニス人生で何度か節目を越えていくものだが、竜馬にとってこのデ杯、5時間25分を戦い抜いたマミート戦は、間違いなく一つの節目となるだろう。

そのマミートが竜馬について「(コートサーフェスなどの)条件は異なるが、グラウンドストロークもサーブも、昨年、日本で対戦した時とはまったく違っていた」と話していた。前回の両者の対戦はインドアのカーペット、今回のサーフェスはアウトドアのクレー、しかも粉砕した貝殻でできたシェルコートでバウンドが極端に遅い。昨年までの竜馬だったら、粘るマミートにラリーを支配され、焦ったあげく自分からミスを続けていたような気がしてならない。

今回の竜馬は十分に積極的で、十分に粘り強かった。エッグボールのトップスピンは重く、高い打点からのフラットは一撃で仕留める威力と精度を持っていた。サーブにも破壊力があった。コートサイドで見ていた私の目にも「まったく違うテニス」と映った。

竜馬にマミートの言葉を伝えると、彼は「ラケットを替えたことが大きい」と話した。「スピンがかかるようになったし、『線』ではなく『点』で狙えるようになった。我慢強くなったのもある」というのだ。単にサーフェスにうまく対応できたという話ではない。新しいラケットが触媒となって、竜馬のテニス自体が大きく進化したのだと思う。

2011年3月 5日 (土)

伊藤竜馬が5時間25分のマラソンマッチを制す【デビスカップ】

 デビスカップ・アジア/オセアニアゾーン・グループ1の1回戦、日本対フィリピン戦の取材でフィリピン・セブ島に滞在中。
 4日のシングルスは日本の2勝。中でも、ベテランのセシル・マミートを5時間25分のマラソンマッチの末に破った竜馬の頑張りは、見事のひと言だった。
 日本の竹内映二監督が「ジェットコースターに乗っているようだった」と話したように、試合の主導権は両者の間を行ったり来たりした。
 観戦できなかった方のために、試合展開を書いておこう。
 第1セットは竜馬のサーブとフォアハンドが炸裂し、6-4。順調なスタートだった。
 第2セット、ディフェンシブながら粘り強く戦うマミート。一方、竜馬はセット終盤にケイレンの兆候が出て、それを気にして動きが鈍った。竜馬はタイブレークの末にセットを失う。
 第3セットは、セットブレークの間に水分と栄養を摂った竜馬が調子を戻し、6-3で奪う。冷静で、しかも積極的なプレーだった。
 第4セットで最初のドラマ。竜馬が中盤の競り合いを抜け出し、5-2とリード。さすがのマミートも体力が落ちたのか少しプレーが淡泊になった。竹内監督も「セーフティリード」と見ていた。ところが竜馬があと1ゲームを取りきれない。勝ちを意識したというより、「暑さでもうろうとして」ボールに焦点が合わなかったというのだ。このセットはタイブレークでマミート。
 第5セット。マミートがいきなり4-0とリード。竜馬は第4セットを逆転で失ったダメージが明らかだった。第5ゲームは竜馬のサーブで、15-40の場面もあった。しかし、ここから竜馬が息を吹き返す。マミートのパワーが残り少ないことを読み取った竜馬は、「頑張れば、まだいける」と確信していた。竜馬が4ゲーム連取で4-4に追いついた。
 しかし、まだドラマは続く。竜馬がサービスを落とし、4-5。次のマミートのサービスゲームでは相手にマッチポイントが3本あった。だが、竜馬はアグレッシブなプレーで挽回に成功し、5-5。そして、6-5で迎えた第12ゲームには竜馬にマッチポイントが4本。ところが、どうしてもあと1ポイントが取れない。
 マミートはこのデビスカップで敗退したら引退することを明らかにしていた。選手生命を懸けた、と言ったら安っぽいが、まさにそういう神懸かり的な踏ん張りだったと思う。
 だが、マミートの体力はいよいよ残りわずかになっていた。一方の竜馬は体調も戻り、アグレッシブなショットが増えた。流れは完全に竜馬のものだった。竜馬が9-7でとうとう熱闘に終止符を打った。「最後は体力勝ちです」と竜馬は不敵に笑った。
 大きなチャンスを逃して混戦にしてしまったことも事実。しかし、経験豊かで、しかも引退を懸けてエキストラのパワーを出したマミートを「最後の踏ん張りどころ」(伊藤)で振り切ったのは立派だった。

秋山英宏
Akiyama Hidehiro

秋山英宏

1961年生まれ。大学卒業後、フリーランスライターとしてスポーツ、レジャー分野を中心に雑誌、新聞で執筆活動を行う。1987年からテニスの取材を開始し、グランドスラムをはじめ、国内外の主要トーナメントを取材。テニス専門誌に多くの観戦レポート、インタビュー記事などを執筆している。日本テニス協会広報委員会委員。